傘がある
取ってつけたような話題、
その興味の持って行き方、
みんながみんな、
妙に盛り上がってるようで、
ふっと見せる醒めた顔。
メディアはそういうもの、
真面目そうなものや、
そうでないものまで、
どうだっていいよ。
いや、巷、ご近所の噂話だってね。
そういうことでしか、日々の憂さ晴らしが出来なくなって、週末は、最早、終末の様相を呈するのみ。
だからとて、何か好きなこと、ワクワクすることを無理矢理探して、動き出したとしても、もうこれも、何回繰り返しやってきたことか、呆然と立ち尽くすだけだ。
若けりゃ良いってもんでもない、むしろ、全て、やり尽くして、あるいは、やり切らずに過ごして来た人生を、今こそ、全部ひっくり返して、何だよ嘘っぱちじゃねえかと堂々と言えるのは、後先わずかの人間が、唯一言い残すことの出来る大切な言葉だ。
もう、傘はある、
だから、どこへでも、誰のところにでも、行ける。
でも、何で、どうして行きたいの?
先ずは、一人で考えてみろ。
核の傘、なんて、
つまんないイメージは、
ワカタマには、不要だ(笑)