話法、論法の類い
特定のパターンの話のおとし方を持ってる人は、
噺家でなくとも、
もてはやされる。
世間一般、政治経済、ワイドショー、さらには、スピリチュアル業界においても。
エビデンスか裏ネタか、もしくは、隠された力技か、
いずれにしても、話法、論法の類いで、どうも納得出来ない。ディベートであっても、その訓練に過ぎない。
いつかみんな、ボロが出る。
それだから、結局、ワカタマに、類い、と言われちゃう。
最後はね、何が必要だと思う?
執拗さだよ。
エビデンスだろうが裏ネタだろうが、話の脇に、もっともらしくチラつかせるものについて、執拗に、問うて行く。
何で、誰が、どんな風に、いつ、などと、突き詰めて行くと、どこかで、話の脇から、筋の悪さも見え出して、すっからかんの先方さんの口が、大きく開いて、万事休すとなる。
まあその前に、笑うか怒るかして、逃げるだろうけど。
ワカタマ自身は、セラピーやスピリチュアル業界の話法、論法が嫌いでね、こうやって、徐々に、書き始めたわけ。その業界にいるから、わかることもあるしね。
そんなことより、話法、論法極めて、噺家や講談師になってみろ、無理だな、そんな芸もユーモアもないからな。