ワカタマさん

七福さんからワカタマさんへ

真のコミュ力

ワカタマの核には、

七福さんがいる。

 

正確には、

それを伝えてくれた

あるお婆さんの教えがある。

 

詳細は、追々。

先ず、

伝えるべきことがある。

 

いつ会っても、

ワカタマを一瞥し、

ニコリともせず、

七福神の掛け軸に向かって座り、祝詞を奏上し、

こちらに向き直るや、

伝えるべきを伝えるのみ。

雑談の誘いにも、ほとんど乗らず、下手に余計なことを言えば、ピシャリと、その言葉の腹黒い出どころを戒めるだけ。

 

35年も前の、わずか数年、数回の出会いの中で、伝えられた言葉の意味もさることながら、今、思い出すのは、

そのたたずまい。

 

笑顔いっぱい、オープンハート、ハートフル、そんな子供騙しの雰囲気はなく、

だからと言って、居丈高、厳格、畏怖、といった見かけ倒しもない。

 

ただストレートに、伝えるべきを伝えるのみ。その切実さを重々承知してるからこそ。

 

オンラインだろうが、オフラインだろうが、真のコミュ力とは何か、自分自身の頭でよく考えてみろ!

 

ヘラヘラ笑ったり、うなずいたり、口角上げて喜んで、容姿をこねくり、いじりまわす前にね。

 

何を、誰に、伝えるべきか、

いや、そもそも、自分自身の中で、そのことについて、

しっかりと腹に入ってるかを確認しておくのだ。

 

どうでもいいことは、そのままに、どうしてもということなら、本気で、淡々と伝えれば良い。その後のことなど知ったことか。

コミュ力などは、その理解で、必要十分。

どこに向かって

このブログはね、

日々の雑記の体をして、

訴えるべきは、

切迫して大事なこと。

 

コロナも戦争もシンギュラリティも、実は、そんなに

大したことではない。

人間生きてりゃ、それぐらいのことはある。

 

そんなことより、

みなさんの、魂の生き死にが、実に、嘆かわしい。

 

煽ってるわけでも、脅してるわけでも、ましてや、

悟りきったわけでもなく、

淡々と、瀬戸際で呟いている。

 

科学も宗教も、政治も教育も、文化も、何もかも、魂の上がり下がりはあるものの、

世界一様に、収縮、憔悴して、死神に、首根っこ掴まれてる。

 

だから、ワカタマは、

みなさんの日々のあれこれなど気にはしないが、

魂の嘆きには、耳を貸す。

そして、このブログを書く。

 

病気だろうが、金が無かろうが、人間関係がしんどかろうが、そんなことは、魂の嘆きに比べれば、屁にもならない。

 

先ずは、己の魂が、如何に無視され、踏みつけられてきたかに思い至れ!

他人に問うな、スピリチュアルやセラピーなど、見当違いだ。

一人きりになって、ちゃんと自分自身の魂と向き合え。

美辞麗句などいらない、

どうせなら、黙っとけ。

 

そこから、ようやく、

自分自身も再生する。

世界のことなど、知ったことか。

 

繰り返す。

 

魂の上がり下がりで、誤魔化すな。

いくらでも、逃げ道はある。

でもそれは、地獄に向かってる。

 

ただひたすら、自分自身の魂に向き合い、声を聴き、救ってやれ、守り抜いてやれ!

 

 

どの枠で発想するか

あれこれ悩むにしても、

そのベースとなるのは、

自分自身が設けた枠だ。

 

生まれも環境も影響するが、

ともかく今、

自分自身が有してる枠。

 

中身は、吟味したとて、

千差万別、意味がない。

問題は、拡がりだ。

 

自分自身に、家族、身内、

近隣、学校、職場にからむ

人間&利害関係。

さらには、地方自治団体、

県に国家に地域に、世界、

月に宇宙に、また、別宇宙にパラレルワールド

もちろん、そこに、時系列を持ち込み、文化、文明、人種、民族、宗教、スピリチュアルをまぶして、おまけにメタバースに放り込んだら、

 

最早、悩みの発端も結末もあやふやになり、何に悩んでるのかがわからなくもなるが、

やはり、モヤモヤは残るので、適当に枠を設けて悩む。

 

やることは一つ。

 

今の自分自身の枠を理解し、設定し直すか、

その枠内で対処するか決める。

その際、他人のアドバイスなど求めない、そもそも枠が違うんだからね。

 

コツはある、枠を拡げることで、解決策を得られることもあるし、そもそも悩むほどのことでもないことに気づくこともある。まあ、別の問題を突きつけられることもあるけどね。

 

究極のコツは、

自分自身の狭き枠にとどまること。視野を、世界を拡げるなどというマヤカシに、安易に飛びついては行けないよ。

 

言ってることが、

デタラメに聞こえるかもしれないが、

そうでもしなきゃ、わかんないでしょ。

 

ここからが勝負

いろんな規制が外れて、

自己責任の範疇となった

例のアレ。

実は、これからが勝負。

 

3年間で染み付いた

思考と行動、それにまとった感情、そう簡単には、

客観的に扱えない。

 

全部が全部、見直す必要はない。実は、あらためて気づいた価値あるものに意義を見出す。

 

一人でいることの、寂しさ以上の、解放感、自由さ。

あるいは、学業、仕事、趣味、家事に至るまで、本当の意味での必要性。

 

ただね、それを打ち消すような情報過多による、消化不良、疲れなどがあるから、

 

その辺り、整理して、

あらためて、自分の立ち位置決めて、自己責任とやらを、

言われなくとも果たせば良い。

 

勝負とはね、

戦う前に、

いろんなもの整理して、

どれだけ自由になってるかで決まる。

不自由さは、やがて自滅を招くからね。

 

それには、ある時期、

一人であることを噛みしめ、

相手と自分の中にある不自由さを徹底的に吟味して、

自分自身の自由さ、自由度を上げる、それが武器となる。

 

それで自ずと、思考、行動、感情が、スムースにはたらくはずだよ。

 

備えながらも、

チャンスしかない。

 

 

 

 

 

 

話法、論法の類い

特定のパターンの話のおとし方を持ってる人は、

噺家でなくとも、

もてはやされる。

 

世間一般、政治経済、ワイドショー、さらには、スピリチュアル業界においても。

 

エビデンスか裏ネタか、もしくは、隠された力技か、

いずれにしても、話法、論法の類いで、どうも納得出来ない。ディベートであっても、その訓練に過ぎない。

いつかみんな、ボロが出る。

それだから、結局、ワカタマに、類い、と言われちゃう。

 

最後はね、何が必要だと思う?

 

執拗さだよ。

 

エビデンスだろうが裏ネタだろうが、話の脇に、もっともらしくチラつかせるものについて、執拗に、問うて行く。

何で、誰が、どんな風に、いつ、などと、突き詰めて行くと、どこかで、話の脇から、筋の悪さも見え出して、すっからかんの先方さんの口が、大きく開いて、万事休すとなる。

まあその前に、笑うか怒るかして、逃げるだろうけど。

 

ワカタマ自身は、セラピーやスピリチュアル業界の話法、論法が嫌いでね、こうやって、徐々に、書き始めたわけ。その業界にいるから、わかることもあるしね。

 

そんなことより、話法、論法極めて、噺家や講談師になってみろ、無理だな、そんな芸もユーモアもないからな。

 

 

五感を大切に

最近、

バードウォッチングを始めた。

こっそりひっそり出来る遊びだからね。

 

面白いのはね、

ウオッチングなのに、

聴覚が先ず研ぎ澄まされ、

嗅覚や何となくの気配とか、

視覚は、最後の最後。

だから、行った翌日なんかは、日常でも、ちょっとした物音など、

もちろん、野鳥や野良猫、

まあ、野良人にも、敏感になる。

結局、特別なとこに行かなくても、バードウォッチングなんか出来るんだけどね。

 

人間はね、

一人でね、

ひっそりといるとね、

五感が鋭くなるし、

その先の六感だってそうかもしれないけど、まあ、そんなことは大したことはない。

 

世の中の不穏を嘆く前に、

先ずは、一人身支度し、

自然とそれに付随する世界を眺め回したら、

少し気も落ち着くし、

和むこともある。

 

楽しむ前に、はしゃぐ前に、

よく観察、感じるんだよ。

五月病だから?

本日で、

ゴールデンウィークも終り。

気が重い人も多い中、

取り分け新人の学生さんや社会人に五月病が発生しやすいんだって。

結論、

早く気づいて良かった、

本当に無理なら、

やめてしまえば良い。

生活とか将来とか、

他人が心配するほど、

他人の生活や未来など、

羨ましくはないだろう。

それでも、何かしらの未練があるなら、休んだり、ギリギリ続けても構わないが、どうせ、今度は、六月、七月病といいだす始末。好きにラベリングしてなさい。

無責任極まりない発言の様だが、自分自身と向き合う、さらには、世間一般という通説に、直に触れるまたとないチャンスなのだ。

当然、結果など知れている、期待などせぬこと。

そして、注意事項もある。

世間一般と隔絶して、自宅に、部屋に引きこもっても、

スマホYou Tubeなんか見てたら意味ない。

本当に孤立して、自分自身のあやふやな輪郭に、先ずは気づくこと。

そこが起点となれば、何かが始まるかもしれないし、そのまま、グダグダになるやもしれん。

でもね、もう、そこまで追い込まれないと、なかなか気づかない時代になっちゃったのよ。

 

孤立してさ、

何か喋りだしたらさ、

まあそれが、

魂の声かもしれないよね。